FC2ブログ
        

スポンサーサイト

--/ --/ --
                 
スポンサーリンク
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
スポンサーリンク
                 
        

【歴史】坂本龍馬暗殺の謎・江戸時代  The mystery of Sakamoto Ryoma's assassination

2017/ 06/ 01
                 
スポンサーリンク

坂本龍馬暗殺の
黒幕は誰だ?

~最有力7人の容疑者と黒幕~



坂本龍馬

坂本2


生年:天保6年11月15日『新暦・1836年1月3日』
没年:慶応3年11月15日『新暦・1867年12月10日』


「薩長同盟・大政奉還・船中八策」
という、明治維新を語る上で欠かせない3つの偉業を成し遂げた人物。

「暗殺」というかたちで生涯に幕を閉じた坂本龍馬。
北辰一刀流の達人だあった龍馬を殺害したことから、
犯人もかなりの使い手であったと思われる…
「新撰組」「見回組」「薩摩」「幕府」…犯人は誰か?


今だ謎に包まれている「坂本龍馬暗殺」だが、最近になって判明しつつある暗殺犯。

しかし、幕末に戻ることはできないため、憶測の範中をでないのも事実。

それでは、暗殺実行の動機・力量が揃った者を挙げて行こう。




容疑者①

中村半次郎  薩摩藩
(Nakamura Hanzirou)


中村


どうしても倒幕をしたかった。薩摩にとって龍馬は最も邪魔。
西郷隆盛が龍馬暗殺を指示するのは考えにくいと言われているが、
武力討幕を主張して王政復古のクーデターを計画・実行した「大久保利通」であれば、
裏切り者の龍馬に対し、暗殺を決行しても不思議ではないと言われている。



容疑者②

伊藤甲子太郎  新撰組~御陵衛士(ごりょうえじ)
(Ito Kasitarou)


伊藤


新撰組から脱退した伊藤は、薩摩にいち早く取り入りたかった。
伊藤は、新撰組から分裂して御陵衛士(ごりょうえじ)になって以降、
薩摩藩と親交があったとも言われ、それによって薩摩藩から依頼されてという可能性がある。
また、会津の後ろ盾を失っていて伊藤は、薩摩に取り入る口実を欲しがっていた背景もあった。
会津藩が、暗殺の実行犯と睨んだ伊藤を、これ以上武力討幕派の専横を許さないために、
新撰組に命じて、伊藤を暗殺させた(油小路事件)という可能性もある。


しかし暗殺の2・3日前に、龍馬にたいして、
身の安全を促している事がわかっており、
実行犯の可能性は薄いとされている。



容疑者③

原田左之助 新撰組 10番隊組長
(Harada Sanosuke)


新撰組

当初は新撰組に濡れ衣を着せ、幕を閉じるつもりだった?
「原田説」だが、言い出したのは「谷 千城」であった。
谷は「賊の残していった物に刀の鞘(さや)がある。これは原田左之助の刀だと思う」と言っているが、
これはねつ造されている。
しかし、伊予国出身の原田の背景に「紀州藩 藩士の三浦休太郎」を黒幕とし、
「いろは丸事件」の遺恨が原因と結びつけた動機を、当時は疑われていたのは事実であった。


原田説がないにしても
「新撰組による龍馬暗殺事件」が完全にないとは言い切れない。




そして…

最有力とされる7人の刺客


26人

■京都見廻組説

統括役
佐々木只三郎  京都見廻組
(Sasaki Tadasaburou)


1佐々木


遺恨ではなく松平容保からの幕命で龍馬を殺害。
龍馬暗殺の資料として、最近注目されているのが「手代木直右衛門の密書」である。
手代木は会津藩士で、藩主・松平容保が京都守護職に就任した際には、
公用方に任じられ、11月24日に京都に入った人物である。
そして手代木は只三郎の「実兄」であった。
手代木はこう述べている。「人に語りで日く、坂本を殺したるは、実弟只三郎なり」と語り、
佐々木が今井・渡辺を同行して実行し、暗殺理由は、坂本が薩長連合を成立させて、
幕府の嫌忌(けんき)を買ったためだとされる。

鎖帷子佐々木
当日佐々木が着ていたとされる、血染めの鎖帷子



今井信朗  京都見廻組
(Imai Nobuo)


今井1

今井信朗は箱館戦争に元見回組隊士として参加して降伏し、
東京の糾問所(きゅうもんしょ)に送られて取り調べを受けた際、
「自分が龍馬暗殺の刺客の1人だった」と供述している。
さらに後年になると、今井の近江屋事件の詳細を談話軍記としてまとめ
「甲斐新聞」に掲載された文章には
「刺客の1人ではなく、坂本と中岡を斬った実行犯」であると語っている。
今井は佐々木に呼び出され、
「逃がさぬよう捕獲すべし。万一手に余るようであれば打ち果たすべし」
と告げられたと伝わっている。




渡辺篤 京都見廻組
(Watanabe Atusi)


渡辺1

龍馬暗殺の報酬額まで具体的に家族に告白している。
近江屋事件後、京都で剣術道場を開き、大正まで生きた。
死の床で身内に対し、「坂本龍馬を暗殺したのは自分である」と告白した。
坂本殺害の恩賞として「15人扶持を賜った(たまわった)」と
「渡辺家由緒歴代系図履暦書」に記されている。

※15人扶持とは
1日男性5合の支給(一ヶ月1斗5升)が毎月ごとに15人分であり、
この12ヶ月分が家禄と見なされます。
この武士の一年の俸給は、1,5斗×15人扶持×12ヶ月ですから、年間に270斗、
いわゆる27石の収入です。




桂隼之介 京都見回組
(Katura Hayanosuke)


桂は京都所司代同心で、剣術の腕前がすごかった。
上洛した徳川家茂の御前で演武を行うほどの腕前であった。
「桂説」の有力なのは、「龍馬を斬った刀」の存在である。
桂は小太刀の名人であったため、近江屋の狭い空間での戦闘を措定して、
小太刀の名手である桂が選ばれたとされる。


小太刀2
小太刀





佐々木只三郎以下、
渡辺篤、桂隼之介、今井信郎、組士(高橋・土肥・桜井)3名の計7人で
近江屋に向かったと伝わっている。

《予想配置》

◆暗殺実行犯=桂
◆暗殺補佐=渡辺・組士(高橋)
◆階段で待機=佐々木
◆裏表口見張り=今井・組士(土肥・桜井)




中岡

中岡慎太郎の証言では、龍馬は初太刀で額に向かって左から右へ真っ直ぐに切られました。
これは掛け軸に飛び散った血痕から証明できます。
二太刀目は背中を右上から左下へと切られています。この傷は龍馬が床の間に置いていた自分の刀を取ろうと背を向けた時に切られています。三太刀目は、額を右上から左下へと切られ、この傷が脳にまで達して致命傷となりました。
この時に龍馬は自分の刀を取り、その鞘で刀を受けたのですがその衝撃の強さで鞘は削り取られています。
時間にして数秒の殺傷です。


1暗殺
画像元 お~い竜馬





■黒幕

黒幕説①
黒幕は存在しない説


龍馬は寺田屋事件(龍馬襲撃の一年半前)で自らの身を守るために獲り方二人をピストルで射殺しています。襲撃犯は龍馬をその殺人犯として捕獲しにいった。その任を担ったのが、京都見廻組。

寺田や



黒幕説②
薩長連合を成立させて、幕府の嫌忌を買ったため、幕府からの暗殺命説


指令したのは、
京都所司代を務めていた桑名藩・藩主「松平定敬」。
公表を控えたのは、京都守護職・会津藩・藩主「松平容保」の弟だったからとしている。
佐々木は子孫にこう残している。
「龍馬捕縛を命じたのは京都守護職だった松平容保だった」
と証言したと言われている。


松平


最後に
そもそも「暗殺」が目的だったのか?とも言われている。


近江

もし「黒幕は存在しない説」ならば、
見回組士らは「捕獲」を第一に考え、武力で来るならば武力でという戦略の基に近江屋に向かったはず。
しかし、話をしようと挨拶をしていたが、極度の緊張感で、龍馬の些細な動きが「ピストル」に手をやった!
と勘違いし、過剰に反応してしまった桂が抜刀してしまったのではないか?
とも考えられるが、龍馬が藤吉に対して「ほたえな!(さわぐな)」と言っているが、
これは藤吉が佐々木に斬られた断末魔の声であり、
龍馬との話が終わる前に藤吉が斬られたのなら「矛盾」が生まれてくる。







私の個人的私見ですが

幕府の命・見回組の捕縛、タイミングよく両方の命があり、
「話し合い」ではなく、やはり「暗殺」を主として近江屋に向かったのではないかと思います。
ドラマなど見た、最初は名刺などを出して穏やかさを装い、
次の瞬間なだれ込むように2階へ駆け上がり、
危険を知らせようと階段を駆け上がる藤吉を斬り倒し、
不意打ちの如く龍馬と中岡を斬りつけ、数秒で任務を完了させた。

しかし、これも推測の域はでませんね。



時代を駆け抜けた男
坂本龍馬  享年33歳
  


坂本5



スポンサーリンク
                 
    
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。