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【雑学】意外と知らない身近な雑学「日本編②」

2017/ 05/ 02
                 
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《雑学・トリビア・豆知識》

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日本人なら知っておきたい雑学集

《歴史・日本の雑学》


◆2本の「はし」を始めたのは聖徳太子。ウソ?ホント

答えは「ホント」
聖徳太子が2本の「はし」を採用するまでは、細く削った竹をピンセットのように曲げてはさむ「はし」だった。と言っても使ったのは天皇だけ。ほかの人は手で食べていた。607年、第一回遣隋使となった小野妹子(おののいもこ)らは、中国では「はし」と「さじ」で食事しているのを見て驚き、帰国後、聖徳太子に報告し、聖徳太子が朝廷の人に「はし」を使った食事法を習わせ、「はし」の習慣が始まったとされる。


◆平安貴族の平均寿命は?

平安貴族の平均寿命は、女性27歳・男性32歳とされていて、平均で30歳位。今の平均寿命は80歳位だから50年位短い人生だったのだ。ちなみに、紫式部は40歳、清少納言はそれより少し長生きだったらしい。死因の54%は「結核」(けっかく)20%は「脚気」(かっけ)とビタミン不足による栄養失調が命を縮めたのである。


◆平清盛は怨霊のせいで死んだ?

当時、原因がわからないまま亡くなった平清盛。高熱が下がらず苦しみ抜いて亡くなったことから、「怨霊のせい」とされていたが、現代医学では「マラリア」による高熱死と判明している。昔はマラリアが日本にも存在していた。


◆はじめてパンを食べたのは豊臣秀吉。
ウソ?ホント?


答えは「ホント」
最初に西洋風のパンを食べたのは1842年4月、自宅のパン焼き窯(がま)で作った伊豆韮山の代官・江川太郎左衛門ということになっており、江川家には記念碑も残されているようだが、まちがい。1590年代の朝鮮戦役の頃、招待されたポルトガル船で、「乳酸菌発酵パン」を食べた豊臣秀吉が最初である。このパンは固く、イースト菌を使ったものではなかったので、おいしくなかったらしい。



◆豊臣秀吉は右手の指が6本あった。
ウソ?ホント?


答えは「ホント」
同時代の戦国武将・前田利家によると、豊臣秀吉は織田信長から「六ツめ!」(むつめ)と呼ばれていた。また、秀吉に会ったことのあるポルトガル人宣教師のルイス・フロイスも、秀吉は親指が一本多い「多指症」だったと日記に書いている。多指症の場合、幼児の間に切って5本にするが、秀吉は天下を取るまでそのことを隠そうとはしなかったという。天下人になってからの肖像画や記録は6本指ではない。



◆江戸時代までは1日2食だった。
ウソ?ホント?


答えは「ホント」
江戸時代より前は、夜は、明かりがほとんどないので暗くなったらすぐ寝ていた。起きている時間が短いので朝と夕の2食でたりた。江戸時代になって菜種の栽培が広く行われ、菜種油を燃やす灯台や行灯(あんどん)が灯され夜が少し明るくなった。明るければ起きている時間も長くなりお腹も減る。そこで朝、昼、夕、の3食となった。



◆大名行列を横切ってもいい平民がいた。
だれか?


江戸時代の大名行列は、たとえば仙台藩【伊達家】は3000人、加賀藩(前田家)は4000人、薩摩藩(島津家)は1800人、紀州藩(徳川家)も4000人の大行列だった。もちろん小さい藩は人数も少ないが、それでも通り過ぎるのには時間がかかる。下手の横切ると斬り殺されることもあったから、人々は待つしかない。ただ、「産婆さん」だけは、街道の向こうで赤ん坊が生まれそうなときは横切ってもいいとされていた。


◆江戸時代にも交通事故があった。
ウソ?ホント?


答えは「ホント」
江戸時代は歩いて移動するのが普通だったが、他に荷車やウシやウマに引かせたり、急ぐときはウマをすっ飛ばしたりしていた。当然、ぶつかったり、暴走したりの事故もあり、ケガ人や死者も出た。はじめは、事故はわざとではないからと処罰されなかったが、人の往来が激しくなり事故も増えたので、8代将軍・吉宗の時代から流罪(島流し)、あるいは死刑に処されることもあった。



◆江戸時代の男の人はなぜ頭をそっていたのか?

ひたいから頭のてっぺんまでそり上げた部分は「月代」(さかやき)というが、もともとは、鎌倉時代の武将が兜(かぶと)をかぶったとき頭がむれないようにそっていた。むれると頭がかゆくなり、気が散って戦がおろそかになるからだ。それを江戸時代の男がまねて、強い男のしるしとし、町人にも広がった。月代はそっているので髪がすぐ伸びるが、いつも青々とそりあげているのがカッコよかった。そのためわざわざ、青く染める人もいたらしい。


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